高市氏の経済運営は、バランスの取れた景気刺激策と、強固な国内金融体制に支えられ、トラス政権のような混乱を避けつつ、メローニ風の「責任ある財政出動」を志向するでしょう。
日本では現在、自由民主党(LDP)の新総裁・首相の就任により、政権の新体制が発足しました。新たなリーダーである高市早苗氏に関する市場の見方は、「ミニ安倍」とも称される彼女が、積極的な財政出動や金融引き締めへの抵抗といった期待が高まっています。しかし、こうした見方は、高市氏が直面する構造的・政治的制約や、日本のマクロ経済環境の変化を十分に織り込んでいない可能性があります。
高市氏の経済ビジョンは、安倍政権時代の拡張的な政策を基盤としていますが、パンデミック後の現実によって多くの制約を受けています。初期の発言ではアベノミクス型の景気刺激策の再導入を示唆していましたが、現在の日本経済には、より慎重で現実的な見通しが求められています。日本は依然として「政策のトリレンマ」(独立した金融政策、政治的安定、信頼性のある財政出動の3つを同時に達成することは困難)に直面しており、これらのうちいずれかを犠牲にせざるを得ない状況にあります。
安倍政権時代には、デフレ圧力と景気刺激策への強い支持を背景に政策運営が行われていましたが、高市氏は現在、分裂した国会とインフレ傾向という異なる環境に直面しています。現在の日本は、2010年代初頭のようなデフレ経済ではなく、ヘッドラインインフレ率は3年連続で平均3%を超え、米国型のコアインフレ(食品とエネルギーを除く)も約1.5%に推移しています。こうした経済状況を踏まえると、過度な財政支出ではなく、より慎重で責任ある財政運営が求められており、政策の方向性にも節度が必要とされています。
2023年12月に英国首相に就任したリズ・トラス氏は、財源の裏付けがない大胆な財政出動を打ち出しましたが、それが引き金となり英国債の急落とポンド安を招きました。最終的にはイングランド銀行が市場介入を余儀なくされ、市場の信認が大きく損なわれました。
一方、イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、当初ポピュリズム的かつ財政拡張的な姿勢を示していましたが、就任後は現実路線に転じ、EUや市場への配慮から慎重な予算運営を選択しました。この自制が功を奏し、イタリア国債のスプレッドは安定し、投資家の信頼も維持されています。結果として、メローニ氏はトラス氏よりも財政規律を重視する保守派としての立場を確立しています。外交面でも、同盟欧米諸国との関係維持や国際的な信頼の確保に注力し、現実的かつ協調的な姿勢を示しています。これにより、国内外の支持を得ながら、安定した政権運営を実現しています 高市氏の場合、大規模な財政出動への期待は、政治的な現実によって制約を受けています。自民党は25年間続いた公明党との連立が解消され、新たに日本維新の会と連携していますが、衆参両院での過半数にはわずかに届いていません。そのため、大規模な歳出法案の可決は困難な状況です。また、高市氏は「責任ある財政支出」への方針転換を打ち出しており、麻生太郎氏や鈴木俊一氏といった財政保守派を要職に起用することで、市場に対して財政規律を重視する姿勢を明確に示しています。
高市氏の経済運営は、財政規律と的を絞った景気刺激策のバランスを取ることで、家計消費にプラスに働くと見られています。近く開かれる臨時国会では、国内の経済的耐久力を強化するための補正予算が提出される可能性がありますが、国債市場を動揺させるような内容にはならないと考えられます。弊社は最近、日本の成長見通しを上方修正しました。これは、家計の回復が続いているなど、国内ファンダメンタルズの堅調さが背景にあります。第3四半期は一時的な足踏みが見られたものの、家計消費と設備投資が引き続きGDP成長を支えると予想しています。
高市氏の勝利後、10年物の日本国債利回りは17年ぶりの高水準である1.69%に上昇し、30年物は過去最高の3.345%を記録しました。これは、財政の放漫化への過度な懸念が市場に反映された結果と見ています。
2024年の日本の政府債務残高はGDP比で236%と世界でも高水準ですが、パンデミック対応による増加幅は2020年から12%にとどまっています。国際通貨基金(IMF)は、2030年までに日本の政府債務のGDP比が14%減少すると予測しており、これは日本が財政規律を維持するという私たちの見通しを裏付けるものです(図1参照)。
さらに、今年度の補正予算が現在編成中であり、市場の警戒感を高める可能性があります。ただし、過去のデータを見る限り、日本の補正予算は概して慎重かつ責任ある内容であることが示されています(図2参照)。
新型コロナからの回復に伴う実質成長の回復も相まって、日本のネット債務残高の対GDP比は現在およそ140%まで低下しており、今後も減少傾向が続くと見られます。特に重要なのは、日本の国債の90%以上が国内で保有されており、外部資金への依存度が低いため、対外的な資金調達リスクが大きく抑えられている点です。
さらに、日本は約3.7兆ドルの対外純資産を保有する世界最大の純債権国であり、こうした構造的な強みが、外国資本に依存する国々が経験するような債券市場の急変動から日本を守る防波堤となっています。これは、リズ・トラス氏の短命政権下で英国が直面した市場の混乱と対照的です。
日本銀行の金融政策について、市場では高市氏の下で利上げ路線が妨げられるとの懸念も見られますが、実際には彼女は慎重かつデータ重視のアプローチを支持すると見ています。特に、日本では米不足による食品価格の高騰など、独特のインフレ要因が存在しており、日銀には慎重な対応が求められています。
このため、利上げのタイミングは当面先送りされる可能性がありますが、年末から年始にかけて利上げが実施される可能性は高いと見ています。その後は、政策金利が心理的な節目である1.0%に近づくにつれて、利上げペースは徐々に鈍化する見通しです。
ドル円(USD/JPY)は現在155円近辺で推移しています。短期的には、日銀がタカ派的な姿勢を強めれば、為替が安定する可能性もありますが、構造的には円相場は国内要因よりも米国の金融政策に左右されやすい状況です。米国の利下げサイクルが徐々に進み、海外勢による為替ヘッジ比率が歴史的な低水準から引き上げることで、時間の経過とともにドル円は下落に向かうと見ています。2026年末時点でのドル円のフェアバリューは135円前後と見積もっていますが、短期的には150円付近での推移が続く可能性が高いです。購買力平価(PPP)やBEERモデルなどの標準的な評価指標に基づけば、円は依然として大きく割安であり、中期的には平均回帰の余地があると見ています。
日本国債の利回り曲線(イールドカーブ)は依然としてスティープで、財政主導(fiscal dominance)への懸念を反映しています。30年債利回りは3%台前半で、5年債と30年債の利回り差(スプレッド)は約200ベーシスポイントと、G4諸国の中でも最も急峻な傾斜です。短期的には、海外資金の流入鈍化や日銀の量的引き締め(QT)に伴う国内投資家の様子見姿勢により、やや弱気な展開が予想されます。ただし、日本国債の約90%が国内で保有されているという構造的な安定要因が市場を下支えしています。現在のバリュエーションは、G7諸国の中でもフェアバリューに近づいていると見られます。
現在、国内銀行は日銀の当座預金に約400兆円の資金を保有しており、10年債利回りが1.8~2.0%を超える水準に達すれば、再び国債市場への資金投入が見込まれます。これにより、10年債利回りの上昇には一定の歯止めがかかると考えられます。2025年は引き続き長短金利差が拡大する「スティープ化」が続く可能性がありますが、2026年には日銀の利上げが最終水準に近づくことや、財務省による国債発行構成の調整が進むことで、イールドカーブがフラット化する可能性もあります。また、日本国債は長期的な海外投資家にとっても魅力的です。為替ヘッジを行えば、自国通貨ベースで見た利回りが相対的に高く、投資妙味があります。
イギリスの「トラス・ショック」とは異なり、日本には制度的な安定性と厚みのある国内投資家層が存在しており、財政リスクへの耐性があります。年金基金や銀行は構造的に長期保有の姿勢を取っており、国債価格が大きく下落した場合でも買い支える余地があります。さらに、デリバティブへの依存が少ないため、市場変動時に強制的な売却が起きにくいという強みも備えています。
日本株(Nikkei・TOPIX)につき、高市氏のリフレ志向の政策は追い風になり、特に内需や財政出動に関連するセクターが恩恵を受けやすいと考えられます。すでに一部の期待は株価に織り込まれている可能性がありますが、日本の経済基盤の安定性、企業統治改革の進展、収益力の改善などが、中期的な株式市場の前向きな見通しを支えています。また、日本は家計の金融資産が国の債務残高の約2倍にのぼる「自国資金で賄える構造」を持っており、これが金融システムの安定性や投資家の信頼感を高める要因となっています。
金融や建設セクターは、リフレ政策や国内の財政刺激策といったマクロの追い風を受けやすく、好調な展開が期待されています。一方で、生活必需品セクターは価格転嫁力が限られているため、引き続き利益率の圧迫を受けやすい状況です。半導体セクターについては、米中関係の緊張が緩和すれば、追い風となる可能性があります。特に、日本の戦略的な半導体強化の流れにおいて、TSMC社の熊本進出などが象徴的な動きです。
また、日銀によるETFの売却(量的引き締めに伴う株式保有の縮小)は、時間をかけて段階的に進められる見通しであり、短期的な市場への影響は限定的と考えられます。
高市早苗氏のリーダーシップは、アベノミクスのイデオロギー的な流れを継承していると見られていますが、実際の政策運営は、イタリアのメローニ首相と同様に、構造的な制約を受ける可能性があります。具体的には、政治の分断やインフレ圧力により、立法面やマクロ経済政策の自由度が限られている点が共通しています。
また、日本特有の債務構造も、より現実的な政策運営を促す要因となっており、高市氏の実際の政策は、当初の選挙戦で掲げた積極的な財政出動からトーンダウンし、より慎重で責任ある支出へとシフトしています。これは、イタリアのメローニ首相が就任後に現実路線へ転じた動きと重なります。高市氏も、財政規律を重視する麻生太郎氏や鈴木俊一氏といった人物を要職に起用し、制度的な安定性を市場に示しています。
積極的な財政出動や金融緩和の再開を期待している市場関係者は、見通しの修正が必要かもしれません。高市政権は、トラス政権のような混乱を招くのではなく、アベノミクスの遺産と財政規律のバランスを取りながら、慎重な改革を進める新たなフェーズに入る可能性があります。これは、デフレから脱却した日本が築いてきたマクロ経済の信認を維持するための取り組みとも言えるでしょう。
日本市場における簡易まとめ
| テーマ | 見通し | リスク | |
| マクロ環境 | 国内の底堅さで成長軌道が改善中 |
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| 日銀金融政策 | 短期的には首相官邸との明確な連携が必須 |
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| 日本株 | リフレ政策、ガバナンス改革、収益改善が支援材料 |
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| 日本円 | 為替は国内より米国FRBなどの海外要因で動く |
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| 日本国債 | 割高から適正水準に修正、現在はG7先進国の金利の中間水準 |
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| 日本国債カーブ | 5年30年スプレッドは200bps超と急峻で、米独債(約100bps)よりもスティープ |
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