利回り上昇が異なるシグナルを発する局面
2020年初め、米国10年国債利回りは1.5%前後、金価格は1オンス当たり約1,500ドルで推移していました1。2026年第3四半期には、10年国債利回りが2023年以来初めて5.0%を上回りました2。一方、金価格は今年前半に過去最高となる1オンス当たり5,400~5,500ドルに達した後も、4,000ドルを超える歴史的な高水準を維持しています3。一般的には、名目金利や実質金利の上昇は、利息を生まない資産である金を保有する機会費用を高め、金価格の重しになると考えられます。しかし、パンデミック後のサイクルでは、この関係性は以前ほど強く働いていません。市場が2027年末までのFRBによる追加利上げを織り込むなかでも、金は米国債利回りの大幅な上昇を吸収してきました4。金融市場で最も危険な言葉とされる「this time is different(今回は違う)」には慎重であるべきでしょう。それでも、米国の債務残高(対GDP比)が100%に達し5、高水準の実質金利のもとでも金が底堅さを示していることを踏まえると、より大きな疑問が浮かびます。投資家は、金へのエクスポージャーを捉えるうえで、新たな局面に入りつつあるのでしょうか。
金にとっては、利回りの水準だけでなく、利回り上昇の背景も同様に重要です。経済成長の加速や生産性の向上、堅調な企業収益を伴う利回り上昇は、リスク資産との競合を強め、金の機会費用を高めるため、従来型の逆風となります。一方、タームプレミアムの拡大に起因する利回り上昇は、根本的に異なるシグナルを発する可能性があります。そのシグナルは、米国債需要の構成変化や、増加する長期債供給を市場で消化するために必要なリスク補償と、ますます密接に結びついています。米国債市場における海外投資家の存在感は大きく低下しており、市場性米国債の発行残高に占める海外投資家の保有比率は、2010年の約50%から2025年には約31%へ低下しました6。この変化は各国の公的外貨準備の構成にも表れています。外貨準備全体に占める米国債の比率は、2000年の約30%から2025年には約25%へ低下した一方、金の比率は同期間に約9%から約22%へ上昇しました(図表1)7。
米国債の購買層が変化するなか、市場価格を左右する限界的な買い手は、より価格感応度の高い民間投資家へと移りつつあります。こうした投資家が、インフレを巡る不確実性、ソブリン債の発行増加、財政ファンダメンタルズの悪化に対して、より大きな補償を求めるのであれば、利回り上昇は単なる経済成長期待ではなく、政府債務に対するリスクプレミアムの拡大を一段と反映するようになる可能性があります。
デュレーションリスクと金を巡る局面の転換
持続的なインフレ圧力と、景気後退局面ではないにもかかわらず世界の債務残高が増加を続けていることは、タームプレミアムが構造的に高止まりする新たな局面への移行を支えている可能性があります。世界のソブリン債務残高は約108兆ドルと、世界GDPの約91.5%に達しています8。また、米国の政府債務残高は2026年8月に40兆ドルを突破し、直近の1兆ドルは約5カ月で積み上がりました9。米議会予算局(CBO)は、政府以外が保有する連邦政府債務がGDP比で2026年の約101%から2036年には過去最高の120%へ上昇すると予測しています。また、連邦政府の純利払い費は約1兆ドルから2.1兆ドルへと2倍超に増加し、連邦歳入の約4分の1に相当する見通しです10。高金利環境のもとで債務返済コストが上昇を続けるなか、課題の中心は、国債供給、歳入、財政支出へと移りつつあります。加えて、高水準のソブリン資金調達需要は、AIやエネルギー関連の設備投資拡大などに伴う民間部門の大規模な発行と、長期資金を巡って競合しています。地政学および貿易を巡る不確実性も、従来の海外需要を取り巻く環境を複雑にしています。
これは、世界金融危機(GFC)後の局面からの大きな転換を意味します。当時は、FRBによるデュレーションの吸収、中立金利の低下、世界的な過剰貯蓄、抑制されたインフレによってタームプレミアムが圧縮され、米10年債のタームプレミアムは2015年後半から2021年初めにかけて、おおむねゼロを下回る水準で推移していました11。パンデミック後の環境では、米10年債のタームプレミアムは約0.8%まで上昇し、10年超ぶりの高水準に達しています12。こうした再評価は米国以外にも広がっており、金価格が上昇するなか、米国、英国、ドイツ、フランスの10年債タームプレミアムの平均も大幅に上昇しています(図表2)13。
調整経路となる可能性がある米ドル
米ドルは、財政圧力やデュレーションリスクの高まりが表出する、もう一つの経路となる可能性があります。FRBによる9月の利上げと追加引き締め観測は、短期的に米ドルを再び支える要因となりましたが14、足元の上昇が米ドルのより大きなトレンドを必ずしも変えるわけではありません。米国債市場の流動性を支えたり、長期の資金調達コストを抑制したりするための措置は、市場機能を円滑にし、長期ゾーンの混乱を緩和する可能性があります。しかし、債務と財政赤字の基調的な拡大傾向を変えるものではなく、より広範な政策不確実性を解消するものでもありません。こうした新たな環境では、借入コストを抑える取り組みによって利回り上昇圧力が一定程度抑制される一方、警戒感を強める投資家は、現在の政策運営が消費者にとって法定通貨の購買力を事実上希薄化させているとの懸念を含め、他の資産市場を通じて懸念を表明する可能性があります。
財政への懸念が債券市場から為替市場へと波及する傾向が強まれば、金は代替的な価値保全手段として恩恵を受ける可能性があります。とりわけ、インフレは債券の実質的な投資収益を低下させる可能性があるためです。地政学および財政面の逆風によって米国のソブリン資産に対する海外需要が圧迫されれば、この経路はさらに重要になる可能性があります。2025年の事例は注目に値します。関税を巡る不確実性と財政懸念の高まりが重なるなか、ブルームバーグ・ドル・スポット指数は約8%下落し、2017年以来で最も低調な年間パフォーマンスとなりました。一方、金価格は約65%上昇しました15。連邦政府による借入の持続可能性が一段と低下しているとの見方が再び強まれば、「法定通貨の代替資産」を選好する取引が勢いを増し、希少な金融資産かつ価値保全手段としての金に対する需要が高まる可能性があります。
再び始まる引き締めサイクルにおける金
9月16日のFOMC以降、予想された25ベーシスポイントの利上げを市場が事前におおむね織り込んでいたこともあり、米ドルが再び上昇するなかでも金価格は堅調に推移しています16。歴史的に見れば、こうしたパターンは珍しくありません。近年のFRB利上げサイクルを通じた金のリターン中央値は、最初の利上げ前6カ月でマイナス6.9%、3カ月前でマイナス2.9%、1カ月前でマイナス1.4%でした。その後は、利上げ開始から3カ月後にプラス6.1%、6カ月後にはプラス9.7%へ改善しています(図表3)17。このパターンは、金利上昇による逆風の大部分が、歴史的には引き締め開始前に織り込まれてきた可能性を示唆しています。
2022~2023年の引き締めサイクルは、足元の環境を考えるうえで参考となる直近の事例です。FRBが積極的な金融引き締めを行い、政策金利がGFC後の最高水準に達したにもかかわらず、金価格は1オンス当たり1,800~2,000ドル前後という歴史的な高水準を維持し、総じて底堅く推移しました18。同時に、金ETFは継続的な純供給源となり、2020年後半から2024年半ばにかけて、年換算で平均約180~200トンの解約が発生しました19。しかし、こうしたフローは、公的部門を中心とするおう盛な現物需要と、同時期に過去最高を記録した中国の個人投資家による金需要に吸収され、引き締めサイクルを通じて金価格を下支えしました20。中央銀行は2022~2024年に年間平均約1,074トンの金を購入しており、公的部門による記録的な金需要を裏付けています21。その後、この現物需要の基盤に、ETF需要と幅広い投資需要の回復が加わりました。米国および一部のG10諸国で再び金融引き締めが見込まれるなかでも、金の需要構成は一段と強固になっています。
結論
FRBの金利政策の行方は重要です。特に政策当局は、インフレリスクの抑制と約2.0%の物価目標達成を引き続き重視しています22。しかし、より長期的な課題は金融政策を超え、財政環境そのものに及びます。金は、数千年にわたり貨幣および価値保全手段として機能してきた希少な金融資産です。米国をはじめとするG10諸国が持続的な財政圧力とインフレ圧力に直面する世界では、金利上昇と金の間にある従来の関係性が変化しつつある可能性があります。これは、特に短期的な局面において、金が金融引き締めの影響を受けないことを意味するものではありません。しかし、底堅い現物需要にETF投資家からの資金流入回復が加わっていることは、金を支える構造的な需要要因が、金利サイクルだけにとどまらない可能性を示唆しています。